天然学 - 天然の本質に迫れ

天然について誰よりも深く研究します。

天然の分類

天然と一口に言っても、細かく見ると色々なパターンがあります。根本的な常識はずれや大胆さやおおらかさみたいなのはある程度共通していても、どんなところで天然っぽさが強く出てくるかには個人差があります。

 

聴性天然

聞き違いが多いタイプです。ザワザワしてたり早口だったりすると相手の発言を聞き取れず、本人の勝手な解釈により天然行動が誘発されます。

A「アルフォートいる?」

B「アイフォーン?ほしい!」

みたいな人たちです。ちゃんと聞き取れれば変なことは起きないので、対処はしやすいです。

ちなみに聴力障害はありません。会話を正確に聞き取るというのは実は高度な技術だったということです。

 

非常識性天然

常識のなさが目立つタイプです。社会一般の常識が全て欠落しているわけではないのですが、ひそかに弱点属性を抱えていて、弱点分野を突かれると天然行動に至ります。

新聞を3紙も読んでいて時事ネタには精通しているのにドラマのDVDボックスを知らなくて、外箱より中身のDVDが欲しいと言い出したりします。DVDボックスはDVD+外箱ということを知らなかったようです。

普段は有能な人として通っていて、ギャップが大きいタイプといえます。萌えるかどうかは相手次第。その人の弱点にさえ当たらなければ有能な人として機能するので、仕事の割り振りを工夫しましょう。

 

運動性天然

体を制御するのが苦手で、日常行動に危なっかしさがあります。何もないところでつまずいたり、目の前にあるガラス扉に気づかずに激突したりします。頭脳労働に従事させるのがよいですね。

天然の段階としては軽度なのですが、周囲の努力で危険を回避するのが難しく対処に困る症例といえます。

 

遂行性天然

長大な計画を実行していると抜けがあるタイプです。簡単なことは問題なくできるのですが、ステップを多く踏む複雑なことをやっているとどこかでミスがあります。

日常動作で最も複雑な作業といえば料理なので、料理絡みのトラブルとして出現することが多いです。砂糖と塩を間違えたり、お弁当のご飯とおかずを逆に詰めたりします。

あまりいちどに多くのことをやろうとせず、適宜休憩を挟むのがよいでしょう。

なお、この手のトラブルがあまりにも頻発する場合、天然ではなく認知症遂行機能障害が出現している可能性があります。病院の受診を検討してください。

 

自己中心性天然

空気を読まない人たちです。ここは空気を読んで美辞麗句を並べておこう、みたいな発想が薄いようです。自分の気持ちに正直でノビノビとしています。

お説教の後の重苦しい空気の中、「ふあー、おなかすいた。」と言い出して空気をなごませるようなことが頻回にあります。もちろん空気を凍らせることもあります。どう転んでも空気が悪くなりそうなときは、絶対に黙っているよう予め釘をさしておくのが安全です。

こちらの気持ちに余裕があれば、彼らの飾らない自由さを好ましく感じます。うまく機能すれば好かれるタイプですね。テレビのインタビューでみられる天然はこのタイプが多いです。いちばん無害な天然かもしれません。

 

言語性天然

言葉のセンスが独特な人たちです。ある日突然、「ごきげんよう」とか「おいとまします」とか言い出してびっくりします。あと、オノマトペが変わっていることが多いです。「ほわ、うご、ふえぇ」などの漫画でしか見ない言語を使います。

漫画の天然キャラはたいていこれらの言葉を使いますが、現実世界では少数派です。おそらく、動かない紙面の中で漫画家が天然キャラを表現しようとした結果なのでしょう。

オノマトペはともかく、彼らの使う独特な言葉の中には、ハッとさせられるような真理を突いた言葉もあり、感心と尊敬に値する人たちです。

 

論理性天然

外部からはうかがい知れない独自理論に基づいた人たちです。言葉のセンスという次元を超え、思考回路まで超越しています。かつて、学校に電気ケトルを持ち込んでそうめんを茹でていた人がいましたが、「ケトルでもお湯は沸くし、コンビニで買うより安くておいしい。」と言っていました。うん、理屈は通っているし、なんならいい案だと思うけど、ふつうは鍋だよね。

この辺はどちらかというと天才とか変人とかに近く、天然が徐々に拡大解釈されてきた結果ようやく分類可能になった分野かもしれません。

天然はトクであるか

天然ってずるいですよね。失敗しても怒られないどころかかわいいねって言われて。失敗が多くても全然ばかにされてないしなんならけっこう高評価だったりするし。べつにスゴい能力があるわけでもないのになぜかみんなにチヤホヤされて人気者だし。「え、なんなの」みたいな優遇を受けていることもまれならずです。
ただ、実はこちらからは見えないところで彼らも苦労をしているのです。本当にトクかどうかはわからないですね。どんな点を重視するかで評価は変わってくると思います。ただ、いくつかの点では明らかにトクだったり損だったりするので、その点を見てみましょう。

モテる

この点において、かれらは明らかにトクです。特に女性はモテます。何がそんなに男心をくすぐるのかわかりませんが、なぜか人気です。そんなにいいですかね、天然女性って。

ちなみに男性は別にモテません。第一印象が特に悪いということはないので損はしませんが、モテるかどうかはその男性の頑張り次第でしょう。天然だから好きになるということは一般的ではないです。

妬まれる

前項の鏡面効果ですかね。天然がモテる女性のほうが妬みは強いですが、モテることのプラス効果を相殺するほどのマイナス要素ではないです。

重要な企画に呼ばれない

天然の人は不安なので、重要な企画や極秘な企画は彼ら抜きで準備されることがあります。サプライズの企画が天然ちゃん経由で露見したら、サプライズの意味がないですからね。友達の誕生日サプライズくらいなら大した失点にはなりませんが、仕事の重要プロジェクトとなれば話は別です。天然のせいで重要案件を外されるとしたらかわいそうです。これはかなり大きなマイナス要素といえるでしょう。

信頼されない

前項に引き続きマイナス要素です。上司は天然を一人立ちさせることに不安を感じます。また、部下は天然の上司には頼りにくいです。これは実話ですが、直属の上司が天然とされる人物だったとき、2つ上の上司が「あの人は天然だから、困ったことがあったらその上司を飛ばして私に相談するように」って言っていて、ナチュラルにスルーされた直属上司が不憫でした。全体的にビジネスにおいてはデメリットが目立つ印象です。

なぜかチームの中心になる

重要案件さえ絡まなければ、天然の人ははいい人です。いい人の周りには人が集まります。いつの間にかチームの中心人物に祭り上げられ、多くの人とかかわるチャンスを得られるでしょう。

 

ほかにもいろいろありそうですが、またおいおいまとめていきます。

「天然の人は自分が天然だと思っていない」問題

意図せず面白いことを言ったりやったりして笑いを誘う天然ボケの人。彼らの特徴的な言動のひとつに挙げられるのが「天然の人は自分が天然だと思っていない」という点です。つまり、「わたし、天然なんです」などとのたまう人は偽物であると。結論からいえば、この通説はかなり正しいです。今回は、この「天然の人は自分が天然だと思っていない」問題について考えてみたいと思います。

 

天然の人と話すことがあるとわかりますが、彼らは驚くほど無自覚です。初発の天然の人に「あなたは天然ですか」と言うと、たいていは「違います」と返ってきます。客観的にみてまず間違いないような典型例の人ですらそういいます。ここは否定されるまでがお約束の展開というか、もはや様式美というか。時には「天然って何ですか」と逆質問が返ってくるパターンもあります。ここで天然について解説しても、自らが天然と呼ばれる類いの人間であることを彼または彼女が理解してくれることはないでしょう。

 

とはいえ、彼らにも学習能力があります。年中同じ指摘をされれば、さすがに「私は天然らしい」くらいには思います。この段階に至ると、あなたは天然ですかという質問に「はい」と答えるようになります。しかしここからが重要なポイントで、彼らは自分が天然であることをはっきりとは認識していないのです。
例えばあなたが健康診断で糖尿病だと言われても、「はあそうですか。まあ先生がいうならそうなんでしょうね。」くらいにしか思いません。やっぱりそうですか、私もそう思っていたんですよ、とはならないのが普通です。「糖類は控えてくださいって医者に言われてるんだよね」と言いながらラーメン大盛りにライスをトッピングする人なんてたくさんいます。同じようなことが天然にも起こっていて、彼らはなんら症状は感じていないし、危機感もありません。


つまり彼らが言う「天然を自覚した」というのは、あくまで「周囲の人間に天然と言われることが多いという事実を認識した」だけであり、真の意味で自覚しているわけではないのです。

 

したがって、冒頭の問題提起に戻ると、彼らはやはり自分が天然だとは思っていないのです。「わたし、天然なんです」という人には、なぜそう思うのかを聞いてみましょう。本物は根拠が薄弱です。「いや、周りの人がそういうんです」みたいなことを小声で言い出すことでしょう。一方で天然のフリをしている人たちは、面白くてかわいいエピソードをつらつらと語ってくれますよ。

 

 

天然ってなんだろう

最近、というかかなり昔から流行っている「天然な人」。芸能人のなにがしさんが天然だとか、モテるとか、天然だと思ったら実は養殖だったとか、いろいろと話を聞く。しかし、天然とはどんな人のことを指すのかは、あまりはっきりとしていない。今回は、天然ってどんな人のことを指すのかを考えてみたい。

 

天然は、「天然ボケ」と同じ意味である。「ボケ」という言葉がつくとちょっとマイナスなイメージがあるから「天然」になったのだろうか。まあそれはよい。世間では天然な人の特徴についていろいろと述べられているが、それらを分析した結果として浮き出てくる最も重要な点は、天然の定義とも呼べるものである。それはおそらく、次の1点に収束する。すなわち、

『天然』または『天然ボケ』とは、本人が意図しないものの、彼または彼女の言動がお笑いにおけるボケのようであり、笑いとツッコミを誘うこと。さらに頻繁にそのような言動がみられる人のこと。例)彼の天然な発言にはあきれる。君は天然なんじゃないか?」

 

ポイントは2点ある。

1つは本人がボケを意識しているわけではないということ。狙ってやっているのだとしたら、それは天然ではなく漫才である。もう1つは、笑えたりツッコミたくなったりすること。面白くないのはもちろん、ドン引きするレベルにズレた行動も天然とは呼べない。もっともこの辺は程度問題なので、受け取り手によって天然だと思ったり思わなかったりするかもしれない。

間違いないのは、本人にはボケの自覚はないということ。これは天然についてよく言われる「天然な人は自分が天然だとは思っていない」という定説に絡む重要な点である。この定説はとても興味深く、別項で詳しく触れようと思う。