やっぱり天然はドジだった
前回は、「天然はアホじゃない。頭いいんだぞ。」というお話でした。今回は「天然はやっぱりドジでした。」というお話です。
天然のドジは小さなミス
どんなに頭がよくても、天然の人ってたいていちょっとドジ。何もないのにひとりで勝手につまずいたり、電車に傘を忘れてきたり、取るに足らない小さなミスが多いです。もはやドジでない天然はいないんじゃないかと思うほど、天然のドジっ子エピソードは豊富です。
しかし長く観察していると気づくことがあります。彼らは小さなミスしかしないのです。人生が終わってしまうような致命的なミスは決してしないバランス感覚を持っています。
例えるなら、車を運転していて電柱にぶつけることはあっても人をはねることはない運転手、みたいな感じです。電柱は止まっていて人は動くのに、動かない電柱にだけぶつかる、しかも時速40キロで突っ込むのではなく、時速5キロでこするイメージです。
キーワードは危機感
彼らはどうして小さなミスだけで済むのか。もちろん、かわいいドジっ子キャラを演じているからではありません。
まず、天然の人だって大きな危険が想定されるときは慎重に行動します。だから大きな失敗は回避します。
問題はそこまで危険ではないときです。多くの人は小さなミスにも敏感です。つまずかないように自分の体の制御に気を配り、電車に忘れ物がないように確認作業を怠りません。
ところが天然の人はこういう小さなミスに対して危機感が薄い傾向にあり、それよりも自分の興味があることに没頭します。そのため思索にふけっていてつまずいたり、読書に夢中で傘を忘れてきたりします。
運転手で例えるなら、人をはねないように細心の注意を払っていたが電柱は気にしていなかった、といったところでしょうか。
案外ドジもよい
彼らの理屈がわかったとしても、身の回りの親しい人が天然のドジっ子だとイライラするかもしれません。
こんなとき叱責は効果薄です。彼らは危機感の基準が少しずれているだけ。彼らにとっての些末なことをギャーギャー言われるのは不快です。
例えば「転ばないようにアスファルトの細かい凹凸に気を配れ。そんなこともできないのか。」と神経質な人に言われたらあなただってゲンナリでしょう。1センチ程度の細かい凹凸なんてたかがしれてるし、そのくらい見逃しても危険はないですが、中にはちょっと大きなへこみがあって足を取られるかもしれません。天然の人は注意すべきへこみの大きさがふつうの人よりも大きく、ふつうの人が10センチで危機感を覚えるところで20センチまで気にしない、ただそれだけのことです。
むしろ天然ドジは、おおらかな性格と評価しましょう。細かいことばかり気にする人よりもおおらかな人のほうが過ごしやすいです。おおらかさの現れとしてのミスだと思えば、ちょっと気分が晴れますよ。
特に実害のないミスならば、笑える小話になります。