好かれるから天然になれる
好かれるから天然になれる
以前、天然は拡大解釈された結果、好感度が重要だということを述べました。ここから、天然たりうる必要条件が1つ浮かび上がってきます。それは、「好かれていること」です。
どういうことか。同じ珍行動でも非常識で無能や面倒くさい人と言われる場合もあれば、微笑ましい天然エピソードとして語られることもあります。元となる行動が同じなのにどうしてこれほど評価が分かれるのか。この差は、その人が普段どう思われているかによるものです。もともと嫌われがちな人が奇行に及んでもそれはただの奇行ですが、これが好感度の高い人だったなら憎めないところがあり、天然として愛されるのです。
では、元々好かれている人だと珍行動でも許せるのはなぜかというと、要するに「あばたもえくぼ」です。好きな人のことだと欠点までもいとおしく感じるのが、人間の特性なのでしょう。人間はそういうものです。
天然に対する言説も説明される
ちなみに、この「好かれている人が天然になる」という仮説を受け入れると、色々なことがすっきりとしてきます。
よく天然の人の特徴として挙げられる「ポジティブ」「悪口を言わない」「分け隔てがない」「一生懸命」などは、どれも好感度の高い行為です。もともと好感度の高い人に現れたツッコミ所が天然なのです 。
また、「本物の天然は好かれるが、偽物は嫌われる」という説も理解しやすくなります。普段好かれるわけでもないのに天然のフリをして甘い汁を吸おうなんてムシのいい話は認められないでしょう。
「天然はかわいい」という意見にも関わってくるでしょう。だって、天然もかわいいも好感に基づく評価ですから。